個人的に中学生の時に観て、しばらく「人生で一番好きな映画」に挙げていた作品。
何が良いかといえば「あ、自分がずっと考えてたことが映画化されてる!」とビックリしたという訳。
Yahoo!映画から解説。
典型的なアメリカ市民・トゥルーマン。だが彼の暮らす環境は、どことなく不自然だ。それもそのはず、実は彼の人生は、隠しカメラによってTV番組「トゥルーマン・ショー」として世界中に放送されていたのだ!家族や友人を含めたこれまでの人生が全てフィクションだったと知った彼は、現実の世界への脱出を決意する…。メディアによって作られた人生の悲喜劇に、見事なリアリティを与えているジム・キャリーの熱演が光る傑作コメディ。
一人の人間の人生を誕生からずっと追い続けて、テレビで放送しているという設定。
筆者もずっと妄想していたことで「もし自分が撮影されていたらどうしよう?」などと考えていたのだ。
特に不安だったのが「自慰行為の場面を撮影されていたらどうしよう?」ってこと。
だから、本作でもその点は気になった。奥さんと性交渉する場面では中継が止められる。しかし性交渉の自慰行為では恥ずかしさの度合いが違うだろう。そこをなかったことにしたのはどうなのか?と疑問だが、フィクションなので仕方がない。
幼い頃、多くの人間が抱いていたのではないか?
「自分が世界の主役だ」「自分は選ばれた人間として生まれてきた」などと。
この作品を30を超えて観てみると、その見え方が昔とかなり異なった。
今も昔も変わらなかったところ。
自分が放送されている、と気づきはじめて街から出ようとするトゥルーマンをエキストラたちが全力で妨害する場面のラッシュ。このラッシュが今も昔もかなりツボに入った。しつこいくらいのラッシュで笑い続けていたから、103分よりもかなり短く感じた。
昔はあまり感じなかったところ。
一人の人間がテレビ放送されているというのは、当然、自由がないわけだ。友だちも奥さんもテレビ番組の役者としての仕事だ。台本のない物語を謳っているがそんなのは大嘘。雇われ友達、雇われ奥さん、製作者側が女を用意して恋愛に発展させる。トゥルーマンはもうマリオネット。
トゥルーマンは生活に不足はしていない、十分な生活を保障されている。
でも自由は?
トゥルーマンにとって「社会は病院」だ。
生かされてはいる。
しかし真の自由はない。
(ここでは真の自由とは?などと問わない。しかし舞台された街から出られないように「マゼランのように新しい世界を開拓したい」というトゥルーマンに対して「世界は開拓され尽くしているわ」と答える教師がいて、街から出ようとするトゥルーマンの前に怖い犬が現れて彼の脚をすくわせたり、しまいには海の事故で父親を亡くしたというトラウマを植え付けて、海を渡れないようにさせている)。
こちらのネガティヴな見方のほうを中学生の時の筆者はしていなかった。世界の主役、という魅力が勝った見方をしていたと思う。
製作者は「神」として描かれている。何でも可能だ。最後、街から出ようとするトゥルーマンを本気で殺そうとする。その難を逃れて、街から出る寸前のトゥルーマンにも「この街は良いぞ」と誘惑する。
しかしトゥルーマンは自由を選択するのだ。
そして映画内の観客、及び、この映画を実際に観ている観客を感動に導くのである。
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