もう十八歳を迎えた藤井遙は、おてんばの時分からずっと魔法使いに憧れ続けている。「ケンケンパ!」は彼女が昔、編み出した呪文の名前の一つである。
憧れている理由は幾つかある。
まず、ここ、水産都市・ひとひらでは漁師をしている男性の割合が高い。
遙の父も昔、漁師をしていた。
彼女の人生最初の記憶……。
バラエティに富んだ海の幸を、父が飛び切りの笑顔で持って帰ってくる。その姿がまるで魔法使いのように輝いて映ったのである。
自分も光輝く魚たちをうんと捕まえてみたい。宝石みたいだから。
以来、父は魔法使いであり、彼女の師でもある。
また、母を幼い頃に亡くしているのも影響している。
当時、死の概念をまだ分かっていなくて、母はどこか別の世界に行ったのだと思い続けていた。その母をひとひらに呼び戻すためには魔法を使う必要があるのだと、おそらくは何かの物語に感化されて思っていた。以来、何年も自己流の呪文を唱え続けたものの、母を取り戻すことが出来ず、自分は所詮「魔法使いの弟子」なんだなと思うようになった。
最後に、ひとひらという街の名前に彼女の秘密が隠されている。
「ひとひら」という響きが美しいと感じていた遙は、その意味を父に尋ねたことがある。「平らで薄いもの一つ」という意味で、その漢字は「一枚」もしくは「一片」と書くという。
その意味も漢字も美しくない。漢字から平仮名に表記を変えただけで、途端に美しくなる。
まさしく魔法。
以来、ひとひらに勝手気ままに意味付けを行うようになった。
ひとひらは人間同様に生きた存在で「さん」付けして呼んでいること。また、魔力に溢れた土地で密かに魔法使い育成の場となっていること。毎日、声をかけなければ死んでしまうこと……。
彼女はいつからか儀式を行うようになった。
天然の遙は十八歳になってもなお、誰も彼もが何らかの儀式を隠れて行っているのだと思い込んでいる。
夜、ひとひらが寝静まった頃、自宅近くの公園で周囲に誰もいないことを確認する。
そして「おいで、ひとひらさん……」と優しく呼びかける。
そうすると、意志を持ったかのように、街は柔らかく豊かな風を彼女に吹きかけて応じてくれる。続けて、どこのものよりも新鮮で乾いた空気が彼女の胸一杯に入り込んで甘美な心地にさせる。その後、遙は夢遊病者のようになって恍惚感を抱きながら公園付近を彷徨《うろつ》くのだ。
この儀式は夜にしか行われない。
そもそも、別の時間帯に行っても何も起きない。
通行人に見られたら気味悪がられるだろう笑みを浮かべながら自宅まで帰宅する。鍵はあるのに敢えて家のチャイムを鳴らす。
ここまでが儀式だ。
玄関の扉が開いて出てきた魔法使いの愛情に満ち溢れた笑顔を見て、遙はハッと我に返るのである。

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