沙羅は山田の猫背を蔑むような目で見て、三上との会話を立ちながら聞いていた。
この男はقوة الله(神の力)の使い手だという自覚も大してない。その能力も麻雀で使う程度だとは宝の持ち腐れにも程がある。こんな弱々しい中年には勿体ない。
「まず、結論から言うと、山田さんは治ります。……」
この男はقوة اللهの副作用によって惨めに死んでいくだけなのに、お義父さまったら希望を持たせてあげて。しかも、選ばれし人間だなんておだてまでして。
「沙羅、持ってきてくれ」
三上は五本の指を開いて見せた。
その合図は国内で未承認で、海外でも簡単には処方出来ない強力な痛み止めが入った乳酸菌飲料を持ってこいという意味だ。その薬には恍惚感を抱くという都合の良い副作用がある。
「かしこまりました」
沙羅は隣の部屋に行き、そこに常備されている大型冷蔵庫から痛み止め入りの乳酸菌飲料五本を取り出してビニール袋に入れた。続けて、机の上に重ねてある小型金庫を一台持って、元いた部屋に戻った。
病人を助ければ信者になりやすい。
いわゆる現世利益というもので、病人が訪れた時、三上がよく使う手法である。
「がっかりしましたか? これはクロリスではありません。……」
山田の前に五本並べて「是非、今一本飲んでみてください」と優しく勧めた。しかし、三上の言う「本当の治療方法」という言葉が頭に引っかかった。そんなものは存在しないと聞いているが、まるで本当に存在しているかのような口振りである。単に三上の巧妙な演技に自分まで騙されただけかもしれない。
現実では三上もまた、その命が尽きようとしているのだ。
二度も父を亡くすのは、思うに忍びない。
「分かりました。誓います」
三上が山田に誓わせたので、これで他言することはないだろう。
エレベーターで一階まで送った山田にまだ帰らないように伝えておき、一旦、三上のところに戻ってどういう心づもりなのか聞くことにした。
「お義父さま、一体どうお考えなの? 本当の治療方法って言葉が気になったけど、本当はないのよね?」
「あの男、自分がقوة اللهの使い手だという自覚がほとんどなかったな。おだてておいて転がしておくだけだ。何かの役に立つかもしれないからな。本当の治療方法なんてある訳がない。幾ら研究しても作ることが出来なかった」
「そういうことだったのね。私、辛くなって。お義父さまが亡くなると思うと……いやだ」
いやだ、をまるで子どもが駄々をこねるような声で発した沙羅は、三上の膝元に抱きつき、声をその膝で押し殺して泣いた。その蒼い目からこぼれる涙は、拭っても拭っても止まらなかった。
三上がその頭を何度も優しく撫でた。スラックスの膝の上部分だけがびっしょりと濡れて色が濃くなっている。
他の人に見られたら、長い時間をかけて築き上げてきた理想像が一瞬にして粉々に砕け散るであろう姿を、沙羅は三上の前だけで見せる。
「沙羅、可愛い子だ。大丈夫だ。私はまだ諦めていない。研究を拡充して、必ずや治療法を見つけ出してみせる」
「うん」
沙羅は膝に顔を押し当てたまま子どもが渋々納得する時のような声で言った。
立ち上がって、三上が手渡してきたハンカチで涙を拭いた。
まずまず正気を取り戻した沙羅は、普段通りの大人びた声で三上に伝える。
「実はお義父さまに会って欲しい人が今来てるの。パパの目にそっくりな若者」
「祐介と? どんな奴だ?」
「探偵やってるヒッピーみたいな男の子なの。競馬場で声かけられたんだけど、ビックリしちゃって」
「そうか。もしかしたら会ったことのある奴かもしれない。連れてきていいぞ」
三上の許可を得ても鏡を見たら酷い顔で、目の腫れも充血も到底隠し通せるものではない。メイクだけ直して一階に降りた。
健人に会えるだけで嬉しい。他の何を犠牲にしてでも、健人と会い続けたい。そんな感情が湧いてくる自分に、沙羅は驚きを隠せないでいる。
ロビーのソファに座って待っている三人に声をかける。
「健人にも会いたいってお義父さまが」
「え、俺も? デート前にいきなり親紹介?」
健人は目元のことに触れてこなかったが、三人とも沙羅の目をチラチラと見てきた。
「そんな訳ないでしょ。会ったことがあるかもしれないって言ってた」
「そんなお偉いさんと会った記憶はないけどな」
「いいから来て」
沙羅は健人の腕を強引に引っ張ってエレベーターに乗った。
「探偵の仕事はどう?」
「今、面白い仕事を請け負ってる。母の死の謎を知りたいっていう娘から依頼受けたんだ。自殺ってことにされてんだけど、本当は他殺なんじゃないかって疑ってるんだ、その子」
ちょっと、いや、かなり嫌な予感がした。いや、まさか、今更そんなはずはない。
再びドアを三回ノックして健人を先に招き入れた。その瞬間、健人が肩を突き上げて三上を指差した。
「あー! あの時の地下鉄の運転士さんじゃん! 何で!?」
「いやいや、私もビックリしたよ。沙羅から話を聞いて、もしや、と思ってね。昔、古谷鉄道で働いていてね、社長とも仲良くて、運転士不足だからということで手伝っているんだ」
「助かったよ。あの時、線路に落っこちそうになって、あんたの顔を見たら酔い覚めて何とか落ちずに済んだんだ」
「あれが私の力なのだよ」
「どういうこと?」
「私が運転士をしていると、人身事故が起きない」
「何か超能力みたいなものを使って?」
「その通り」
「山田のおっさんが治るかもしれないって喜んでた。それも超能力で治るっていうのか?」
「まさか。我々はそこまで非科学的な宗教団体ではないよ。彼の保有している腸内細菌については我々も研究しているんだ。根絶させるための薬品の研究もしている。上手くいけば、という程度だよ。それにしても山田さんを助けようと色々と頑張ってるんだって? 随分と仲が良いみたいで羨ましいよ。一体どういう関係なんだい?」
「ふーん。まあ、駄目で元々だから上手くいけば良いけどな。つい先日だな、地下鉄で死にそうな山田のおっさんに出会って、心配で家に連れ帰ったんだ。そしたら死ぬっていうから放っておけないってだけ」
「会ったばかりの男性のためにそこまで?」
「そう。文句あるのか?」
「いや、ないよ。でも私には超能力よりもその献身的な姿の方が信じられないよ」
「ま、褒め言葉だと思って受け取っておくよ。あんたらだって人助けるために宗教してるんだろ? 大差ねえよ」
沙羅は三上の様子が可笑しいことに気付いた。相当具合が悪いのだろうか、涎を垂らしては拭ってを繰り返している。
「お義父さまの体調も優れないようなので、この辺で良いでしょうか?」
二人の了承を得て、沙羅と健人は応接室をあとにした。
「あんなことがあったなんて知らなかったわ。お義父さまは立派な方でしょう?」
「スラックスが濡れてたけど、あの人、漏らしてたんじゃないか? それで具合悪いフリしたとか。あと気になったんだけど、パパってのは実父のことで、教祖は義理の父ってこと?」
「お義父さまに限って漏らすことはないわ。パパとお義父さまのことはその通り」
「おいおい、漏らすことない人間なんていねえぞ。俺ですら何回もやらかしてる。前捜してたってのは? 見つかった?」
「見つかるとかそういうものじゃないの……。気にしなくて大丈夫」
「……そうか。なーんだ、また面白い案件発見かと思ったのによ」
健人と会って以来、私は変だ。
パパとママが死ぬ前の顔がよく出るようになっている。
もしかして健人に恋愛感情を抱いている?
恋愛感情とは無縁の存在になったと思っていた。亜弥の恋愛話を聞いていても、この世のものではない架空の世界の話のようにすら感じていたというのに。
パパと目が似ているから?
でも、どうしてそんなに似ているの?

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