ブランド物の本皮の長財布も黒。
黒いワンピースが似合う沙羅と共通点があるように感じて蓮は嬉しくなった。もし、ワンピースで来たらどう脱がせば良いのだろう? バンザイのポーズをしてもらうのは何かみっともない気がしてならなかった。
蓮は財布から一万円札を取り出して健人に手渡した。
「本読んだのか?」
「ごめん、急いで読み終えて内容伝えるから待ってて」
「マジかよ。早くしないと遙ちゃんが怒っちゃうよお」
大袈裟に天を仰ぎ、困り果てたように健人は頭に手を乗せている。
「ほんとごめん。今から寝室で読むから邪魔しないで」
蓮は寝室に戻ってベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。羽根素材の枕を沙羅に見立てて強く抱きしめる。そのまま蓮は近い内に起こるかもしれないシチュエーションを想像した。
沙羅と手を繋ぎながら、蓮は静まり返ったラブホの廊下を歩いている。ドアノブを回したのは沙羅で、続いて、蓮がその後ろを付いていった。ドアが閉められると、密室に二人きりという状況に緊張が最高潮に達した。
鼓動が激しくなる。
息苦しくなって汗が吹き出てくる。
沙羅の背後から抱きつき、柔軟剤の良い香りがする背中に頭を押しつけることで少しだけ穏やかさを取り戻す。そのお腹は、想像していた以上に柔らかい。
「どうしたの? 緊張してるの?」
沙羅は笑い、抱きつかれた体勢のまま腕を後ろに伸ばして蓮の頭を撫でた。全て分かっていてリードしてくれる内面も外見も素晴らしいお姉さんで、蓮はこの人が初めてで絶対に後悔しないだろうと思った。
部屋に入って「私が先にお風呂入るね。あとで呼ぶから来てね」と沙羅が言った。普段着ない、レモンイエローのシャツに、白い膝丈のスカートを穿いた沙羅はいつも以上に清楚な佇まいだ。
ベッドで待っている間、この先起こることを想像して、蓮のジーンズはまるでジェットコースターが頂上まで上っていく時のような様相を帯びている。だが、それは頂上で止まったまま、絶対に降下することがない。
「蓮君、入ってきて良いよ」
バスルームの曇りガラスに人影が映っている。
普段入浴する時の姿になった蓮だが、いつもと違うのは一枚のタオルをひらひらさせて隠していることである。その姿でバスルームに入った。
髪の毛を後ろで束ねてお団子を作っている沙羅の濡れた顔は、妖艶などと簡単に形容出来るものではない。まさに完全な美そのものだ。
「おいでよ」という反響する声に導かれるように、体育座りして湯船に浸かっている沙羅と向かい合う形でバスタブに入った。中の湯がザーッと音を立てて大量に溢れ出ていく。
「恥ずかしいね」と言い、整った歯並びを見せて笑う沙羅と見つめ合う。猛禽のように光らせている蒼い目は、まだ何も知らない蓮を獲物として見据えているかのようである。
「体、洗ってあげるよ」
浴槽を出た沙羅はその白い手にソープを付けてよく泡立てた。
背中、首元、胸元、お腹、両足……。
そのたわやかな摩擦が淫靡な快楽を呼び覚ます。
ソープの付いていないもう残り少ない部位と彼女の手の摩擦は、まさにマジカルな化学反応だという他ない。一人では決して到達出来ないその感覚は二人だからこそ可能な発電である。蓮の内部では早くも警告音が鳴り響いている……。
シャワーで全身を流してもらって、いよいよ上がることになった。
先に出ていく沙羅の後ろ姿の曲線美。
顔を埋めたくなる丸々とした二つの風船。
水滴をバスタオルで拭き終えると、沙羅が蓮の手を握ってベッドまで引っ張っていく。仰向けになっていていいという沙羅に全て委ねる。
ここから先は、あらゆる力を自在に支配出来る世界。
くっついた二つの厚みは吸盤のように離れない。
摩擦をスムーズにする自然そのもののゼラチンは二人の愛情の証である。沙羅は重力に身を委ねたり、逆らったりを執拗なまでに繰り返す。その粘着質なところもまた、二人の愛を証明する動作なのだ。
蓮は自制心を失い、二人の形勢が逆転する。
平熱だった体温も今ではもう微熱を帯びていることだろう。
蓮の男性的な本能が、優しい暴力で引きちぎるようにして沙羅の体の秘密全てを暴いてみせる。
やがて二本の脚が汗ばんだ蓮の腰を締め付ける。その魔法の愛の力が蓮を最後の痙攣に導き、その体の動きさえ止めてしまうのだ。
そして愛してるの言葉が何度も囁かれていく……。
蓮はパンツの中に六枚詰め込んでおいたティッシュの中に出した。
想像力は途絶えた。
本当に今夜、想像通りのことが起きないか、期待と不安が入り交じっていた。
ティッシュを二階トイレに流した後、パソコンを起動させて海の教団のホームページに飛んだ。「海の教団の教え」の部分をじっくりと読む。
意志は元来、海から誕生したものだという。
生命が海から誕生したのだから意志も確かにそうなのかもしれない。
人間の意志は「意志の宝庫」である海からの預かり物であり、人間はそれによって勝手気ままに動かされているのだという。だが、決して自分のものではない意志も、修行を積むことで自由意志を獲得することが出来る。
それを獲得した者は、海の存在に近づいた「大海者《たいかいしゃ》」として崇められる。
教祖・三上はその自由意志を獲得した大海者であるらしい。
大海者は、個々に分け与えられた意志を、波を操るように動かすことが出来るそうだ。
「波」を使った慣用句や諺が多いのは、人間が、自分の意志よりも大きな意志(≒海の波)が存在することを漠然と感じ取っていたからである。
大まかだが、海の教団の教えは以上のようになる。
蓮は何かに似ていると思い、記憶の糸を辿った。
そうだ、ニーチェの講義で教わった内容だ。彼に多大な影響を与えたとされるショーペンハウアーの思想に近いのだと思い出して、その思想が簡単にまとめられた小説を本棚に探しに行った。
「ショーペンハウアーは、世界の根底に盲目的な「意志」、目的を持たずただひたすらに欲望するだけの「生きんとする意志」を観た。世界に存するあらゆるものがこの宇宙的な「意志」より出て、「意志」の欲するとおりに欲し、それらがすべての行動の規範を作る。一人の人間の食欲、性欲、そしてなにより生き続けたいという無我夢中な本能は、ショーペンハウアー流に言えば大いなる「意志」の分化、個別化したものに他ならなかった」
非常に似ている。
この小説の登場人物は、世界の「意志」から逃れようとして自殺を考えるが、自殺すらも世界の「意志」であることに気付き、絶望している。
一方、海の教団は、世界(≒海)の「意志」を自分のものに出来ると主張している点が小説との大きな違いだ。また、海や波、といった比喩を多様している点も違いになるだろう。
自由意志を獲得した大海者は「個々に分け与えられた意志を、波を操るように動かすことが出来る」。
これこそが、神の力のことで間違いない。
そして、山田の手品も神の力で間違いない。
蓮はそこまでの確信を得た。

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