ケンケンパ! の要領で小学からの親友の詩織が木蓮川を横切るための飛び石の上を器用に飛び跳ねている。
渡る力を失った遙は、川沿いの芝生に座ってその姿を眺めている。
向こう岸まで辿り着いた詩織が、同じ足の使いでこちら側に戻ってくる。
「まだお父さんに言ってないんでしょ? 遙はいつもそう。キツい言い方かもしれないけど、それって人を傷つけるよ?」
「うん、分かってる」
「何も分かってないじゃん! 分かってるなら言いなよ」
バイトを辞めてからというもの、遙は詩織との夜の散歩が欠かせなくなっていた。マッサージ店を退職したことを父に言い出せないでいるので、続けていればバイトに割り当てられていたはずの時間は外出して誤魔化さなければならない。病気の予後ですら隠したままなので、理由を聞かれて上手く誤魔化せる自信がなかった。病院にはまた一人で行き、父には全て告げたと嘘をついてしまった。
どうせすぐにバレると分かっているのに後回しにしてしまうのは悪癖だと指摘してくれる人が目の前にいるにもかかわらず、肝心の本人がそれほど悪い癖だと思っていない。優しさの一つだと感じているのである。
「うん。決心が付いたら言うよ」
「また! いつもその決心が付く前にバレるんだから! それで離れていった人もいるでしょ? 同じこと繰り返すのやめなよ」
戻ってきた詩織が遙の隣に座って諭してくる。
「探偵さんが調べてくれてるからもう少しだけ」
「デートに誘ってくるっていう探偵でしょ? それとは関係ないし」
「良いの! 少しでも良いこと一緒に教えてあげた方がお父さんもショックが少ないの!」
「その考え方、間違ってるって。ショックはショックなんだから良いことで相殺なんてされないよ」
「詩織の言う通りかもだけど……」
「まあ、遙本人のことだから私はこれ以上言わないよ」
いつも喧嘩になりそうな寸前で折り合いを付けてくれる詩織だからこそ、こんな自分とも仲良くやっていけるのだと遙はいつも感謝している。
「ねえ、デートに誘ってくるって探偵とデートしないの? 格好良いんでしょ?」
その後、ご機嫌を取るようにして話題を変えてくるのもいつものことで本当に感謝しきれない。
「格好良いけど……、住む世界が違うなって感じだし」
「遙、モテるんだから自信持ちなよ! 私なんてフラれてばっか!」
続けて、自分の話にもっていく詩織もちょっと可愛い。フラれてばかりだというその顔をつぶさに見つめても可愛くて、男の方が見る目がないんだと控えめに言ってもそう思う。その熱心な身の上話に相槌を打ちながら聴き入るのも楽しいのに、近頃の遙は別のことばかりに考えを巡らせていた。
調査の進捗状況をこまめに報告してくれる健人は、当時の新聞や母の著書から手がかりを掴もうと尽力しているが、まだ詳しく報告出来るまでには至っていないという。また、先日、母の著書を担当している探偵が亡くなり、調査がストップしていると詫びてきた。それは一大事なので喪に服してくださいと返事をしたのだが、それっきり連絡がない。マグノリアに直接訪ねてみようかとも思ったが、場違いなような気がして躊躇っている。加えて、健人に会って生理的な欲求が燃えくすぶる自分に出会うのもおっかなかった。
母の本に書かれている「神の力」というのがどうしても心に引っかかっている。
もし自分が神の力を使える魔法使いであったなら世界に平和をもたらすんだ。
昔、高校で男子二人が大喧嘩している時、仲裁に入ったことがあるのだが、心からの「やめて!」の一声で本当に喧嘩をやめてくれたことがある。それを見ていた詩織が「流石、遙。ピースオブワールドだね」と謎に英語を使って褒めてきた。あの時のように、あらゆる争いをなくすことが出来たなら……。
「ねえ、聞いてる?」
「ん? あ、ごめん、ぽけーっとしてた」
「やっぱり。大変な状況だって知ってて言うけど、遙ってほーんと暢気で天然で良いよね。皮肉じゃないよ」
実は詩織にも死ぬとまでは告げていない。大手術が必要な大腸の重い病気なのだとだけ伝えている。
詩織は、足下にある石ころを拾って川の中に放り投げ始めた。投じられる石はその度に速さを増していき、本気になってきた詩織は立ち上がって水切りを始めた。初めは鈍い水滴音を立てて沈んでいった石も、慣れてきた詩織の重心の低いアンダースローによって刀で紙を切り裂くような鋭い音と共に水面を滑っていく。
自分もやってみようと思って立ち上がろうとするも、腰が重い。
「あたたたた。詩織、手貸してくれる?」
伸びてきた詩織の乾燥した手を掴んで遙は立ち上がった。
石を拾って投げてもあさっての方向に飛んでいき、浅い川底に打ち当たって鈍重な音が響いた。何度か繰り返している内に、まともに川に入るようにはなったが、どうしても水面を走らせることが出来ない。そもそも詩織のように重心を低くして水面に沿って投げることが出来ないのだ。
こういう子どものような遊びのひとときが遙の望む時間の使い方だった。母のことや神の力のことも気になって仕方がないが、それさえなければ、こうしていつもと変わらない日々を送って最期を迎えていただろう。
「そろそろバイト終わる時間だよ」
「うん、帰ろう。今日もありがとう」
「バイトが終わる、はずの、時間だけどね。何も気にしなくて良いよ。私もバイト辞めて暇なんだし」
二人で手を繋いで河川敷の急坂を登った。
詩織の家は木蓮川の橋を渡ったところにあり、一方、遙の家は橋を渡らない方向にある。いつも通り、橋に着いて別れる間際、遙は一つ、気になっている質問をした。
「ねえ、詩織、私が魔法使いだったらどうする?」
「魔法使い? 遙は魔法使ってるでしょ。ピースオブワールドって前、私が言った奴。遙の前だと皆大人しくなるもん」
こんな変ちくりんな質問にも真面目に答えてくれて、しかも喧嘩の仲裁に入った時のことを覚えていてくれているなんて! これ以上ない満点の回答に大いに満足した遙は、感激に胸をおののかせた。自分の満足げな顔を見て驚いたのか、詩織はぽかんとしている。
「ありがとう! あんなこと覚えてたんだね!」
遙は両手でピースサインを作り、それを横に振ってさよならの挨拶にした。詩織も同じポーズをして挨拶をしてくれている。
遙は振り向いて自宅の方向へ歩き始めた。
自宅付近の公園に着いた遙は、周囲に誰もいないのを確認する。
儀式を始めるのである。
「おいで、ひとひらさん……」
いつも通りに街がその要求に応じる。
もしかするとこれは神の力なのではないかと、ついに魔法使いになった気分で心をときめかせている。
そしてピースオブワールド。
訳せば、世界平和。
それこそが自分の最も望んでいる安住の地なんだと誇らしく思いながら、遙は公園付近をうろつき回った。詩織との別れが何度も頭をよぎって、にやにやが止まらない。そんな不安定な脳内でも詩織に称された言葉は忘れぬよう脳のお気に入りフォルダに保存されている。
わざと家のチャイムを鳴らす。
現れた魔法使いの優しい笑顔を見て、遙はハッと我に返った。

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