ひとひらが鳴いている。
その構造上、教団本部の球面状の窓は人が通り抜けられないくらいまでしか押しても開かない。
自室の窓を開けた沙羅は三五〇mlの缶ビールを片手に、その僅かなスペースから外の禍々しい雰囲気を感じ取っている。先日に続いて、またしても雷雨に見舞われているのである。
ひとひらの言い伝えが沙羅の脳裏に浮かんだ。
「災い訪れる前、ひとひらに落雷繰り返されるだろう」
海の天気が変わりやすいことからも分かるようにその意志は気まぐれだ。ゴーラス海はひとひらの街に大いなる意志を与えたのだろうか。そう思わなければ、今年に入ってからの異常気象は説明が付かない。その衝動性と暴力性はまさに海そのものである。
意志を持った街は、賭け事でもするようにその住民の命運を握る賽を振るだろう。災いをもたらすであろう人知を超越したその賽を。
すでに健人には半ば降りかかっていると言えるのかもしれない。
その親友の蓮を殺してしまったことを深い悔恨を従えて思い起こした沙羅は、まだほとんど口を付けていないビールを喉音を立てながら呷った。
健人と出会う前までは殺人で悔いることなんて一度たりともなかったはずなのに何故だろう? パパの苦しみに比べたらただ死ぬことなんて大したことはないと沙羅は思い続けてきた。
酒のせいもあって頭が混乱している沙羅は冷蔵庫からもう一缶取り出してプルタブを引いた。
蓮は分骨されてひとひらにも埋葬されたという情報は得ている。今度、墓参りに行かなければ。しかし、何故、三上は遺体が簡単に見つかるような殺し方を指示したのだろう?
沙羅は窓を閉じてソファに倒れ込んだ。
愚直な山田は気分を再びどん底まで突き落とされて生に未練を残したまま死ねばいい。冷酷非道な自分を奮い立たせるように無理くり考えを喚び起こして、沙羅はまたぞろ缶を一気に空にした。
お義父さまが死んだら私が海の教団を継ぐことになる。
天井のゆらゆらと揺れる蝋燭の火のようなシャンデリアを見つめる。
その蝋が垂れてきて自分の顔が焼けただれたならば、誰も相手をしてくれなくなるだろうか?
教団の跡継ぎからも除外されるだろうか?
そうなったら教団を逃げ出して健人と交際するんだと沙羅は不謹慎な空想に酔いしれた。
透明なガラステーブルの上には藤井遙の写真が置いてあり、その上に秘密結社/Videoの指輪のダミーが載せられている。沙羅はその歪な形をした指輪を右手の中指にはめて、酔ってブレブレの焦点をその指輪に定めた。
Videoは元々、腸内環境の研究のために結成された組織で、海の教団とは独立している。両方関与しているのは、沙羅と三上だけである。当初は道徳的な腸内環境の研究所だったが、三上の病を治すために手段を選ばなくなって、今では生きた動物や人間を使って実験している。
また、いつからか腸内環境だけでなくコラーゲンの研究を始めた。
その理由も実験内容も三上は教えてくれない。
研究の成果として『ガラスのコラーゲン』という美肌に効果のあるサプリを海の教団内部で販売したところ、爆発的な効果があって即完売。広まりすぎると危ないと言う理由で販売停止となった。沙羅だけは今でも利用しているサプリだ。
三上の命がいよいよ危機的状況となったため、Videoはメンバーを増員することになった。
複数の企業を買い取り、適性のありそうな社員を薬漬けにした上で三上のقوة اللهの支配下に置いてメンバーにしている。指輪はメンバーの証であると共に、三上が調合した薬物がその体内に注入される仕組みになっている。ずっと一桁で推移していたメンバーも、今では百名ほどの組織となっている。
名前の由来は、実験とは何度も繰り返されるものだということで、何度も再生されるビデオをイメージして三上が名付けた。
藤井遙の写真を手に取って眺める。
殺すには惜しい人物だったとお義父さまが言っていた藤井叶向。
その一人娘は随分と芋くさい顔をしている。
قوة اللهの使い手かどうかは確認出来ていないが、お義父さまが、念のため、ということで蓮の次のターゲットにされている。この顔では山田同様に使えても大した能力者ではなさそうだ。
健人が何か感づいたのか、遙はマグノリアで同居するようになって手が出せない状況である。قوة اللهの使い手でなくても、彼はそれを補って余りある直感と力を兼ね備えている。
だが、健人がどう足掻いてもお義父さまのقوة اللهの前ではどうすることも出来ないのだ。いや、もしかしたら、健人なら対抗出来てしまうのかもしれない?
私は健人とお義父さまを天秤にかけている?
沙羅はハッと夢見心地から目覚めた。窓の外の激しい雷雨は一時的に収まっている。沙羅はまだ目を瞑った。
心配する必要はない。どうせまたすぐにひとひらの街は鳴き始めるのだから。
これはきっと小さな災いなんかじゃない。
大災害が降り注ぐまでは鳴き止むことがないだろう。

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