遙一人でさざなみ霊園に行くという情報をキャッチした秘密結社/Videoは、その追跡のために沙羅を派遣することとなった。昼時なので困難だろうが、余裕があれば殺しても良いとの命令が下っている。
どうして単独行動をしているのか?
彼女を守るため、マグノリアに住まわせているのではないのか?
当日の午後、蓮を殺した罪の意識に苛まれ続けている沙羅は寝起きからビールを飲んでいた。酔っぱらっていなければ、その苦しみから逃れられないのである。車では行けないから地下鉄に乗ってゴーラス海前まで、ということになる。
殺しても良いという命令も端から従うつもりはなく、鞄の中には暗殺に利用出来る道具の代わりにビールが数缶入っていた。その蒼い目の荘厳な美しさも、精気を失い、霞んでいる。
「まもなくゴーラス海前。終点。降り口は右側です。開くドア、足元にご注意ください。ラピスラズリビーチ、さざなみ霊園へお越しの方は、こちらでお降りください。どなた様もお忘れ物のないように願います」
終点ということで安心して半分眠っていた沙羅は、場内アナウンスで目を覚ました。なるべく酒臭くないように口臭対策のスプレーを口内に噴射して地下鉄を降りた。スマホを確認すると、Videoのメンバーからのメッセージが入っている。遙はもう着いている、付き添いましょうか、という内容だったが、一人で平気だと断った。
さざなみ霊園までは地上に出て道路を真っ直ぐ進めば五分程で着く。
到着した霊園は、平日午後という時間帯、ラピスラズリビーチの遊泳期間が過ぎていることもあって若者が極端に少なかった。
着いて早々、霧雨が降り始め、一瞬にして辺りをけぶらせた。予報の当てにならない天気が続いているため、普段なら折りたたみ傘を用意しているはずなのに酔っているせいでか忘れてしまった。
拙いな、これ以上は降らないで欲しいなと思いながら沙羅は遙の行方を捜し求めた。
芝地の水気が履いてきたパンプスのスロートから入り込み、足の指先を冷たく濡らしてくる。汗と水気が入り交じるその不快さが沙羅の機嫌を損ねさせた。
第一候補である叶向の墓に遙はいなかった。
それならば蓮の墓にいるのだろうが、その場所の確認すら怠った自分の間抜けさに沙羅は自己嫌悪に陥った。
この広大な敷地から探すのは途方もなく骨が折れる作業の上、その間に遙は帰宅しているだろう。恥ずかしいが仕方がなく、スマホでVideoのメンバーに場所を尋ねたら、すぐに区画と目印になるものの情報が送られてきた。
叶向の墓からそう遠くない。
霧雨は不運にも土砂降りになり、沙羅の全身を強く叩いて濡らした。
帰っていく人の姿も沢山目に付く。
急がなければ何の収穫も得られずに終わってしまう、メンバーに合わせる顔がないと思い、沙羅は蓮の墓まで慌てて駆け出した。
蓮の墓付近であろう地点を走っている時、そこだけ空気が違う、まるで異次元の世界に訪れたかのような異状を体で感じた。
振り返ると、傘の中棒を肩と首で支えて濡れないようにしている一人の女性が墓の前で合掌して祈っている。
藤井遙で間違いない。
祈っている最中だ、この異常な空気はقوة اللهで間違いない。己の意志を失い、三上の意志のコピーのようなものを抱えて生きてきた沙羅が、また別の、例えば、健人の意志を受け継いでいるかのような、清々しくて奇跡的な感覚。
驚異的なقوة اللهだ。
だが、意志をどのように操作しているのか、能力者でない沙羅には見当も付かなかった。
背後に気配を感じたらしい遙が振り返り、まるで珍獣でも発見したかのような驚きと怯えの表情を見せた。その瞬間、先ほどまでの常ならぬ空気も意志が移りゆく感覚も消失した。
「大丈夫ですか!? ズブ濡れですよ!? 傘、入ってください」
大きめの茶色い傘を差して近づいてくる遙の声が心地良く耳に馴染んだ。噂では耳にしていたが、何という美声……。
その傘に入れられても先ほどの衝撃が忘れられなくて、心ここにあらず、の状態である。
「大道蓮さんのお墓参りに来た方ですか?」
上目遣いの遙は様子を伺うように慎重に言葉を発した。
「あ、ごめんなさい。傘ありがとう。そう、蓮君のお墓参りに来たの。友だちの友だちで、亡くなったと聞いたものだから。あなたも?」
「はい。蓮さん、私も友だちの友だちなんです。いきなりのこんな大雨、ビックリしますよね。すみません、ズブ濡れの人がいたものだからビックリして変な顔で見ちゃって」
「いえ、流石にこの格好見たら誰だって驚くわ。折りたたみの傘、いつも持ってるんだけど忘れちゃって。入れてくれてありがとう。友だちの友だちってのは、もしかして、健人のこと?」
「はい! 健人さんです。健人さんに探偵の調査してもらっているんです」
「へー。健人、ちゃんと仕事してる? 捜査は進んでる?」
「最近、進展があったんですよ。亡くなった母の本で分かったことがあって。あ……、言っても分からないですよね。すみません」
「そこ、気になるわ。簡単に教えてくれる?」
「うーん、何というか、母の本に書いてあった病気が同居している人の病気と同じ症状なんです。これは何かあるだろうってことで健人さんが今、方向性を検討してるんですよ」
『入口と出口の哲学』を読んだ?
この女、すでに全部読んでいて内容を伝えたのか?
それともコピーでも取っておいたのか?
同居人とは山田のことだろうが、この小娘の命も危ないという情報は得ている。それを言わないということは、もしかして周りに隠しているのか? 変な性格だとは聞いているが。
「へー。進展ありそうなら良かったわね。蓮君、事故死だったんだってね。少し話しただけだけど、良い子だったのに……」
「残念ですよね……。あ、お参りしていきますか? 私終わったんでどうぞ。傘持ってますんで」
礼を告げて、蓮の墓標の前にしゃがみ込んだ。濡れた墓標を、蓮に触れるようにして優しく撫でた。その後、沙羅は合掌して祈り始めた。
蓮君、私、あなたを殺したことで苦しんでるわ。
あなたはもっともっと遙かに苦しかったでしょうけど。こんなこと、今まで一度もなかった。謝って許されることじゃないけど、私が少しでも楽になりたい。この身勝手さを許して。私は今まで数え切れない程の人を殺してきて、これからも殺さなければならない。一体どうしたら良いの。こんな罪悪感、もう耐えられない。
蓮君、本当にごめんなさい。
祈っている最中、沙羅の目から堰《せき》を切ったように涙が流れ出した。
蒼い目で墓標を見つめ続けていると、様子を見ていた遙が黄色いハンカチを手渡してきた。涙をそのハンカチで拭いても止まらなくて、目に押さえつけたまま声を出して泣いた。三上以外には見せたことがないくらいの啼泣を、初対面の遙に見せている自分が不思議でならなかった。
涙が落ち着いて、沙羅は立ち上がって遙に謝罪と感謝を伝えた。それから傘に二人で入り、喋りながら地下鉄駅まで歩き始めた。ターゲットと仲良さげに帰宅する羽目になるとは夢にも思わなかった。お互いの名前を教え合い、すでに身分まで明かしている。
「遙ちゃんは霊園に蓮くんの墓参りのためだけに来たの? さっき、お母さんが亡くなったって聞いたけど」
「えと、母の墓参りがてら、と言ったら失礼かもしれませんが、ついでに蓮さんの墓参りもしようと思ったんです」
「そう、若いのに大変ね……」
「沙羅さんは蓮さんの墓参りのために来たんですか?」
「実は、私も両親の墓参りのついでに来たの」
「え!? 沙羅さんも若いのに大変じゃないですか!?」
その指摘にまた涙が溢れてきそうだったが、しゃがみ込んで何とか堪えた。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫。遙ちゃん、聞いてくれる?」
「はい、もちろんです」
「私の父は殺されたの。両眼をくりぬかれて」
「え!? 何で、何で犯人はそんな酷いことしたんですか!?」
「分からない。快楽殺人みたいなものだったんじゃないかしら。犯人、捕まってないわ。元々、父は白内障で片目を失明してたんだけど、目立つから障害者への差別意識もあったのかもしれない。母は父の死にショックを受けてすぐに自殺したわ。親族も腫れ物に触れるような扱いをしてきてね。私もショックで声が出なくなっちゃって。その時、今のお義父さま、海の教団の教祖の三上雄平、彼が養子として拾ってくれたの」
「酷い……。沙羅さん、そんな壮絶な目に遭ってるのに立派に生きてて凄いですよ! 私だったら絶対に立ち直れない」
「ありがとう。遙ちゃん、良い子ね」
二人は地下鉄でゴーラス海前から大通まで進み、そこで沙羅が乗り換えなので別れた。
沙羅は三上との出会いを回想していた。
あの日も土砂降りの雨だった。
パパとママの続けての死のショックで緘黙《かんもく》になった高校生の私は、親族から何も喋らなくなった可愛げのない子とされて、どこも引き受け手がなかった。
喋れなくなっただけで会話の内容は全て理解しているのに、児童養護施設に入れるしかないななどと薄情な会話が目の前でなされた。
そんなところ行きたくない。
皆好きだったのに何でこんなに冷たくなったのかと納得出来なかった。
もう一生喋れないんだ。そんな人間は仲間に入れてもらえないんだ。
だから私は必要な荷物だけを持って逃げ出した。
ホームレスになり、公園のベンチで寝袋に入って寝ている時、土砂降りの雨が降ってきた。避ける場所まで移動するのも億劫のため、なるべく顔や髪が濡れないように工夫を凝らしていたが、大雨を遮りながら上手く寝る方法がなかなか見つからない。
悪戦苦闘している時、傘も差していないお義父さまが声をかけてきてくれたんだ。
「沙羅ちゃん、聞こえてるかい? 私、三上雄平って言うんだ。お父さんには仕事でお世話になってね。片目失明のハンデをまるで感じさせないリーダーシップのある素晴らしい人物だった。亡くなって残念だよ」
私は寝袋に入ったまま変な体勢で頷いた。
「喋れないのは緘黙という症状だ。傷が癒えれば自然と治るはずだから焦らなくてもいい。それよりも若い女の子がこんなところで寝てたら危ない。親族から話は聞いている。児童養護施設に入れられそうになったんだって? 喋れないからって好き勝手言いやがって、なあ? 私はクローリスコーポレーションという会社を経営していて、それでお父さんにお世話になったんだ。乳酸菌飲料のクロリスって知ってるだろ? それを作ってるんだ。凄いだろ?」
私は相も変わらず頷くだけだったが、それだけの人間にここまで理解を示して会話をしてくれる人は、お義父さまを除いて他にはいなかった。
「大事な話があるんだ。もし、沙羅ちゃんが良かったら私の家に来ないかい? 高校で成績優秀なんだってね、凄いよ。大学に行かせてあげられるくらいの経済力はある。こんなところでホームレスをやってちゃ、沙羅ちゃんという才能が勿体ない。どう? 来て嫌だったら出ていってもいい」
私は声が出せない分、体で喜びを表現しようと思った。寝袋から出て、真剣な目付きでお義父さまを見据えてゆっくりと深く肯いた。
「来てくれるのかい!?」
お義父さまも嬉しそうな声で言い、その目尻が優しく垂れている。
きっと臭かっただろうけど、お義父さまの背後に飛び乗るように抱きついたら、そのまま私はおんぶされた。
その状態でびしょ濡れになりながら、お義父さまの家まで行ったんだ。
そこは豪邸と言えるくらいの広さで部屋も用意すると言ってくれた。当初、性的な目的があるのかと怪しんでいたが、そういうのも一切なかった。
薄情な親族なんてもう要らない。
ここで新しい自分になって一生暮らしていくんだ。
パパの人徳があったからこそ、私はお義父さまに拾われたんだ。
パパ、ママ、二人のおかげで私は幸せに暮らせるようになったんだよ。

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