クローリスコーポレーションの業績がうなぎのぼりだった頃、失明して白く変色した片目を持つ男性が面接を受けに来た。
それが沙羅の父、小川祐介だった。
会った瞬間、不思議な欲求が沸いてきたのだが、それがすぐに食欲だと気付いたのは『入口と出口の哲学』を読んでいたからだろう。神の眼球の持ち主が本当に存在するのか不安になっていたが、その存在を確認出来て一安心した。
彼は営業部志望でクロリスを全国区にしたいという志望動機を述べてきた。家族でクロリスを飲んでいて疲れ知らずの体になったのがそう思うようになったきっかけだという。会社の方針としても全国展開は大きな目標の一つだった。
「小川さん、もっと話を聞きたいので、お互いリラックスして話しましょう」
腹を割って話してみると、娘の今後の教育のためにもキャリアアップしたいこと、片目は白内障が原因で失明したがそれを理由にしないよう人一倍努力していること、ひとひら大学のラグビー部の元キャプテンで知力にも体力にもリーダーシップにも自信があること、娘を溺愛していること、即戦力になる自信があることなど、ほとんど完璧な人間で、不採用にする理由は全くなかった。
「ありがとうございます。有意義な時間を過ごすことが出来た。結果は追って連絡しますので」
通常なら採用だが、不採用にした。
眼球を奪うためにも、あまりに距離が近いと警察から嫌疑をかけられる危険性が高まるだろうことを考慮したのである。それに溺愛出来る娘がいるというのも癪に障った。ただし、履歴書のコピーは取っておいて、いつでも追跡出来るようにしておいた。
彼は結局、本当にクローリスコーポレーションに入社したかったようで、他に面接を受けている様子は見受けられなかった。
現職のクーラーの営業で、昼休みと仕事終わりにひとひら駅内の喫茶店・Cafe Charmerに寄ることが多いとも分かった。
すでにقوة اللهに目覚めていた叶向が祐介を見て食欲が沸くのかどうか知りたくて、専業主婦をしている彼女をひとひら駅に呼び寄せた。すでにCafe Charmerで一服している祐介に続いて、二人で店内に入った。遠い席で、向こうはこちらに気づいていない。
「奴がそうだ。どうだ? 食欲が沸くか?」
「よく分からないけど、言われてみれば確かに食欲が沸く。恐ろしいよ」
「食べたらどうなると思う?」
「そんなこと二度と口にしないで」
叶向には『入口と出口の哲学』を読ませていない。何が原因でقوة اللهに目覚めたのかも教えていないが、おそらく原初の生命の声を聞いて察してはいたのだろう。
叶向は使い手になってしまった以上、仕方がない、その運命を甘受するしかないという考え方の持ち主だった。
三上は当然、その運命をやすやすと受け入れるような人間ではなかった。
何としてでも神の眼球を手に入れてみせる。
Cafe Charmerで毎日仕事終わりにも勉強している祐介の隣に偶然を装って座り、声をかけた。
「以前、面接を受けに来てくれた人ですよね?」
いきなり声をかけられて怪訝な様子だったが、三上の顔を見てすぐに明るい笑顔を返してきた。
「三上社長じゃないですか。面接、絶対に受かったと思ったんですよ。クローリスコーポレーション、そんな凄い人材揃いなのかとちょっぴりショックでした。ちょっぴりだけ」
「いや、本当は採用しようと考えていたんだが、タイミングが合わなくてやむなく不採用にしてしまったんだ。あの面接なら採用だと思ったろうに。すまなかった。ところで、今、人材不足になっていてね、良かったら弊社で働く気はないかい? もちろん、今貰っている以上の給与を用意する」
流石に即決は出来ないという。それならこのあと、給与面や待遇について飲みながら詳しく話そうということになって、祐介を自宅に招いた。
قوة اللهは意志の大海の中から、個人の意志を見つけだして動かす力。意志の境界線が曖昧になる酔っぱらい、死に瀕した人、薬物中毒者などにはその力が効きやすいということをこの頃にはすでに知っていた。
三上のقوة الله「大胆な支配者《ボールドルーラー》」は、大胆にも意志を持った人間の体自体を動かしてしまう能力である。
酔っぱらった上に睡眠導入剤入りの酒を飲ませた祐介を車に乗せて神林樹海まで連れていった。
殺すのに造作はなかった。
身を守ろうともしないので簡単に刺殺することが出来た。あれなら自殺させることだって出来たかもしれない。
三上は両眼を傷つけないよう慎重にナイフを使ってくり抜いて、持ってきた保冷パックに保存した。
毒味のため、叶向に睡眠導入剤入りの酒を飲ませ「大胆な支配者《ボールドルーラー》」を使って失明していない方の眼球を丸飲みさせた。
後日、叶向に聞いたところ、قوة اللهは失われていないが、体調不良は起こらなくなったという。睡眠薬の副作用で健忘を起こしていたらしく、食べたことは覚えていなかった。それでも何かしたのかと怪しんでいる様子だったが、何を言われても否定するだけである。
とにかく『入口と出口の哲学』に書いてある通りで間違いない。
神の眼球を食べることでقوة اللهの使い手は完治するのだ。
叶向の無事を確認した三上は、失明したもう片方の眼球に醤油をかけてからナイフとフォークを使って平らげた。通常ならグロテスクに見えるはずの眼球もقوة اللهの使い手にとってはご馳走のように映るのである。
最高のご馳走を食べた後、体調不良の改善を期待したが、何も変化が起きないどころか、ただ、腹を壊しただけだった。
失明した方の眼球では駄目だとはあまりにも愚かだった。自分で躊躇うことなく食べてしまえば良かったのだ。白内障は水晶体の病気なのでガラス体内のコラーゲンには問題がないと思い込んでいた。
だが、また神の眼球の持ち主はすぐに現れるだろう。当時はそう楽観視していた節もある。まさか散々探し回ったにもかかわらず、十二年もの間、発見できないとは当時は思いもしなかった。
三上は叶向に嫉妬していた。
職場の同期の頃から何でも出来る人間で、寿退社して子にも恵まれている。それがقوة اللهを使えるまま治ったことが許せなかった。自分より優れていると認めざるを得ない人間がいることが許し難かった。
その嫉妬心がقوة اللهの力を強くしていくことが分かった。意志を動かす力は持つ者の意志の強さによって能力の度合いを変えるのだろう。人を自分に従わせるのが容易になっていったのである。
私には何だって出来る。
そう思いこんだ三上に、ひとひらの街を支配したいという欲望が芽生え始めた。この美しい街、敬愛する父母を生み育てた街、ひとひらを我がものに。その意志が強くなるに連れてقوة اللهの力も増した。
そのためには叶向が邪魔でならなかった。
彼女のقوة الله「沈黙の目撃者《サイレントウィットネス》」は、人の意志を目撃する能力だ。
「最近、三上君、何か怖いよ」
そう遠回しに言ってくるということは、当然、三上の巨大な意志を目撃しているはずである。
叶向はいつの間にか三上と距離を置くようになっていた。
قوة اللهに対する根本的な考え方が違う上に、おそらく、ひとひらを我がものにするという意志を目撃してしまい、近寄り難くなっていたのだろう。
いつもの電話番号にかけると「この電話番号は、現在、使われておりません」と案内されるようになった。住んでいたはずの家を訪れても、現在は空き家になっていた。
逃げたなと思った。
逃さない。
探偵を雇い、叶向の居所を探させたところ、田舎のなみだばね町で夫と娘と三人で暮らしていると判明した。
幸せそうに過ごしているところ、大変申し訳ないが、消えてもらおうではないか。

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