6-4 愛の行方(杏)

 精神病でアルコール依存症を抱えた健人の母は、今後、彼に愛情を表現することのないまま生きて、いつか死んでいくのだろうか?
 もしそうであるならば、母が死んでいること以上に辛いのではないか?
 健人にとっては生き地獄ではないのか?
 かけるべき言葉が見つからないまま、杏は帰りの車内で思い巡らせていた。山田もどう声をかけて良いのか分からないようで沈黙を貫いている。

「そういえば、杏、彼氏とは上手くいってるのか?」
 杏は収穫祭で「お姉さん」とナンパしてきた男性と交際を始めていたのである。その男性は健太という名前だと健人に教えると、笑いながら、セックスの時、名前間違えないよう気をつけた方が良いとアドバイスしてきた。また、交際を機に売春からは足を洗い、先日、派遣会社に登録してきたところである。
「うん、順調だよ。色々と吹っ切れたから」
 健人は杏の好意をどのように考えていたのだろう。何も考えていない阿呆のようでいて、きっと彼なりに色々と考えていたに違いない。
 自分には一人を愛する資格なんてないのだと杏はずっと思い続けてきた。しかし、健人の生き様が杏の内部に潜んでいた決断する勇気を奮い起こしたのである。人のために文字通りの盲目になれる人間がどこにいるだろう? 杏もせめて一人のために、一人をとことん愛してみようと決断したのである。
「どんな彼氏なの?」
「チャラい奴だよ。収穫祭の時、ナンパされたらしい。杏が特定の男と付き合うなんて似合わないったらねえな。まあ、声聞く限り、良い人そうではあるな。名前は健太って言うらしい。おっさん、危なっかしいよな?」
「危なっかしいってどういう意味で? 似てるから呼び間違えるって意味?」
「そうそう。セックスの時にやらかすかもしれねえ」
 これは笑い話の種にしようとしているに違いない。この不敵な笑い方はネタにし続けようと画策している時に見せるものなのだ。それだけは断固拒否しなければならない。
「おい、私をナメんな。どんだけの男に体売ってきたと思ってんだよ? それでも一度たりとも間違ったことはない。しかも健人と間違うなんてあり得ん」
 二人が恐ろしや、恐ろしや、と声を揃えている。彼氏の名前がお笑い草にされるのを受け入れる訳にはいかないから強気な態度で臨まなければ駄目なのだ。
 頑張って勉強して公務員になった彼氏である。健人や山田のように不安定な職に就いて遊び歩いている人種とは違うのだ。
 ここで杏は首を傾げた。
 どうして随分と自分らしくない考え方をしているのだろうか?
 そうか、彼氏のことを庇っているのだ。
 やけに懐かしい感情のような気がして居心地が悪い。
 流れている音楽のせいもあるかと思い、Brother’s keeperの曲を止めて、健人の好きな邦楽ロックバンド「マッシュルーム・エンパイア」の『Whereabouts of love』を再生して音量を上げた。
「え? 何で止めちゃうの、丁度サビに入るところだったのに」
「杏、ナイス。この曲、最高だよな、爆音で聴くに限るぜ」
 愛の行方を追い求めているというテーマで書かれた歌詞の中に「あなたは決して私になびかない」という一節がある。
 健人も決して私になびかない。
 彼氏が出来てからそれが楽だったのだと気付いた。というのも、決してなびかない男性を好きであり続けることは、一人を精一杯愛し愛されることからの逃避でもあるからである。
 健人とは親友でいい。
 いや、親友であり続けたい。
 幸い、彼氏は男女の友情は成り立つという考えの持ち主で、健人に嫉妬することはないだろう。また、今後、嫉妬させそうな言動は控えようと考えている。
 帰宅後、彼氏と会う予定がある。
 先日、マグノリアに来てみなよと言ったら快諾してくれた。
 自慢の料理の腕前を発揮して胃袋はすでに掴んである。
 次は仲間に恵まれている姿を見せて、その心を鷲掴みにしてやるのだ。

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