『レディ・バード』感想

「こんなの自分じゃない」
 
そう思い込みたくなることは、きっと誰にでもあるだろう。

 グレタ・ガーウィグ監督の青春映画。
 しかし青春とは何だろう?
 自分の可能性を信じているかと思えば疑い、情緒が揺れ動く。不安だから背伸びをする。そしてふくらはぎをつるような痛みが伴う……。

 本作の主人公はまさにそのような人物として描かれている。

 舞台はカリフォルニア州サクラメント。
 主人公は本名を受け入れられず、自らをレディ・バードと名乗る。似合わないピンク色に髪を染めて、スクールカーストでは下。
 まさに痛いキャラクターである。
 多くの幻想が、17歳の彼女の元から消え去っていく。
 ニューヨークの大学に行きたいが、不仲の母からは無理だと一蹴される。金持ちの恋人がゲイだと判明する。童貞だと思っていた新しい彼氏が、事後、童貞でなかったことに気づく。スクールカーストで上に行こうと、親友ジュリーを見捨てる。見栄を張って豪勢な家を自宅と称していたが、カースト上位の女友だちにバレて「嘘つき」と呼ばれてしまう……。
 痛々しい。

 プロム(アメリカやカナダの高校で学年の最後に開かれるフォーマルなダンスパーティーのこと)にカースト上位の友だちらと行こうとする時、母と決めて選んだドレスは「キモい服」と陰で言われ、 車の中で流した彼女の好みの音楽も「ダサい曲」だと否定される。
(※アメリカが舞台のため、日本人には実感が沸きにくいところがある。プロムもそうだし、スクールカーストも分かりにくい。また、ユーモアセンスも日本人向きではないと思う)

 彼女は自分の居場所はここではないと気づいたのだろうか。
 プロムに行かないと決めた仲間たちと同行するのをやめて、親友のジュリーに会いに行こうと決断する。
 ジュリーといるレディ・バードは活力を取り戻す。生き生きとしている。
 不仲の母が自分のことを愛してくれているとも理解する。

 消え去っていった多くの幻想の中でも、ニューヨーク行きの夢だけは叶う。
 ニューヨークで生活を始めたレディ・バードは、バーで男から名前を聞かれた時、本名である「クリスティン」と答える。その男が、彼女の好きな曲をまたもや「趣味が悪いな。平凡なヒット曲ばかり」と批判する。が、今度は「でもヒットしたのよ。文句ある?」と強気に返す。
 彼女は「レディ・バード」から「クリスティン」に変化したのだ。それは同時に、彼女が自分を受け入れたという意味でもある。

 酒の飲みすぎで救急車で運ばれたクリスティンには、まだ未来がある。
 未来を諦めた者も諦めていない者も、勇気づけられるだろう。
 青春映画とはもう一度、いや、何度でも未来を信じ直させる映画ではないだろうか。
 事実、未来はいつまでも信じて良いはずだ。

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