1-3 姿を変える街(健人)

 ひとひらの歓楽街あるままは、国内外から多くの人が押し寄せる国内屈指の観光地である。
 駅から地上に上ると、種々雑多な人々でごった返すあるまま交差点に出る。
 その一角にあるビルには巨大なマンボウの看板が掲げられている。あるままの象徴となっているこの看板のネオンには工夫が凝らしてあって、
 コバルトブルー
 ワインレッド
 エバーグリーン
 スカイグレイ
 レモンイエロー
 マリーゴールド
 スカーレット
 この七色のいずれかが十分置きに一旦消えて、数十秒後にまたランダムに灯り始めるのである。
 あるままにはこの影響を受けた、同じ仕組みの看板が幾つも存在する。
 色が変わるに連れて、交差点が醸し出す印象も一変するため「姿を変える街」と称されることがある。
 この洒落た看板は、飲食店を多数展開するマンボウグループが初めに掲げたもので、発光する七色それぞれの名前を付けられたお洒落な居酒屋が一店舗ずつ存在する。
 交差点に出て初めて見えた色の居酒屋にカップルで行くと幸せが訪れるという噂がある。

「マンボウグループが自分らで広めた話だろ、多分」
 川端健人が、あるまま駅構内に集まった高校時代の後輩三人に向かって言った。
「で、洒落てるから運良く人づてに広まってった、そういうシナリオ。ターゲットは、女と見た色の居酒屋に行ったらしい。杏《あんず》が尾行して確認したってよ。来るならそろそろの可能性が高いからここで待機」
 探偵の仕事には仲間、特に女性がいた方が有利に事を運べるということを健人は経験を重ねてよく学んだから、地元のなみだばね町からひとひら市に出てきている高校時代の後輩三人に協力を仰いだ。
 一人目は長身でしっかり者の美咲。一年前に結婚して名字が佐藤から加賀に変わった彼女は派遣経由で事務職として働いている。
 二人目はよく不平不満を漏らしながらも、健人の言うことを最後には素直に聞く真中大輝。赤く染めた髪がトレードマークで、木蓮学園大学という誰でも入れる私大の学生をしている。
 三人目は、緊張して胸に手を当てているぽっちゃりとした森下萌。高校三年の時に妊娠して中退した一児の母である。子持ちといった雰囲気は全くなく、あまり役に立ちそうもないが、美咲の親友だから呼んでもいないのに付いてきた。

 健人が請け負った仕事のクライアントは四十一歳の主婦・斉藤智子。
 旦那が不倫している可能性があるため、証拠現場を押さえて欲しいという。
 そのターゲットの名前は、斉藤誠。
 コールセンター勤務の四十四歳。身長百七十くらいでややふくよかな体型。
 一旦、四人は散り散りに四散して、あとはスマホのグループチャットで連絡を取り合うことにした。
 あるまま駅で落ち合うとすれば、待ち合わせスポットであるユリイカという大型ビジョン前以外考えられない。まだ五時四十分過ぎで人通りは少ない。五時に仕事を終えて六時に待ち合わせるはずだという情報はクライアントから得ている。
 
 健人は斉藤らしき人物が改札を通るのを目撃して、まじない師が付けていそうな腕時計で時間を確認した。
「月曜。五時五十七分。ターゲットらしき人物を発見。六時の待ち合わせだろう」
 健人はジーンズのポケットから取り出したICレコーダーに喋りかけた。仲間たちにもスマホでターゲットらしき男が来たことを伝えた。
 男はやたらと左右を気にしながらユリイカまで歩いている。ユリイカ前にあるポールに寄りかかると、周りをしきりに見渡してからスマホを弄くり始めた。どう見ても不審者である。斉藤に間違いない。
 ジャケットを羽織り、細身のスラックスを穿いている斉藤は小綺麗な格好を意識しているのだろうが、全く似合っていない。顔がそもそも強面な方なのに、色白で青髭が目立つのは勿体ない。体型も太っているんだし、もう少しワイルドな方向性を目指せば、それなりにはなるはずだろう。
 観察ついでに似合うコーディネートを考えている最中、女が現れた。

「六時六分。女が到着」
 続けて、よく肥えた四十代くらいの眠そうな目をしている草臥《くたび》れた主婦のような女、とも録音したかったが、クライアントのプライドに配慮して控えた。
 斉藤は何度も会釈をしており、どう見ても親密そうな仲には見えない。杏が見ているから少なくとも数度は会っているはずなのに、と違和感を覚えた。
「健人:尾行開始。様子見ながら地上に出てね^^」
 こういう人混みなら距離を縮めても大した問題はない。簡潔に仲間に伝えて、健人も地上へ出た。
 灰皿のあるマンボウの看板のビル入口で一服しながら、斉藤を真正面から見据えていると、マンボウの看板を指差しながら女に何か喋っている。
 健人は数歩前に出て看板を見上げた。
 灯っている色は……、スカイグレイだ。
 その居酒屋がある方角に向かって斉藤と女も歩き始めた。仲間に「健人:スカイグレイ付近で待っててね^^」と送信して、まだ半分も吸っていないタバコを灰皿に捨てた。

 先に斉藤たちが入るのを見届けてから、四人でスカイグレイに足を踏み入れた。
 洞窟を模造した球形の入口を抜けると、店内の壁も石積みになっている。天井の高い、広い空間には個室がなく、カウンターとテーブル席とボックス席で占められており、あくまで開放感にこだわった造りになっている。店内の薄暗さも緊張感をほぐすのに役立っているのだろう。
 まるで原始人が洞窟内で行う秘密の宴会。
 ヒトの大脳辺縁系が刺激されて、原始的な情動が呼び覚まされる空間である。
「いらっしゃいませ。四名様でお間違いないでしょうか? お席までご案内いたします」
「いや、ちょっと待て。あの席が良い、あそこにしてくれ」
 健人は斉藤が座っているテーブル席の横を堂々と指差した。ウェイトレスがその指示に従い、そこまで案内するというので後ろを付いていく。
「ちょっと、隣に座って大丈夫なんですか?」
 歩いている途中、大輝が小声で耳打ちしてくる。
「良いんだよ。覚えられたって普通の人間なら怖くて探偵に声なんてかけてこない」
「会話の内容はどうするんですか?」
「何だっていい。美咲の好きなように喋ればいい。久々に会った高校の旧友でもいいし、合コンという設定でもいい」
「萌はどうしたら良いですか?」
「何もするな」

 席に着いてファーストドリンクだけ頼んだあと、メニューを見ながら多少の会話も交えつつ、斉藤たちの会話内容に耳を澄ませる。
 どうやら酒を飲みながら仕事の話をしている。
 女もコールセンターで働いているらしく、斉藤が女の愚痴を聞いて、仕事の辛さを労っている。
 単なる職場の上司と部下?
 もしそうだとすると少し厄介になる。
 不倫の調査で不倫関係にないとなれば、こちらは成功と判断するのだが、クライアントが納得しない場合が多い。結局、大抵の依頼人は疑っている時点で、心では不倫をしていてもらいたがっているのだ。していないことを証明するのは、悪魔の証明とやらで、なかなか難しいところがある。証拠があれば簡単な報告書で済むのだが、ないと時間がかかるのである。
 健人たち四人にもドリンクが運ばれてきて、その際に簡単なオーダーを済ませた。
 乾杯をして、健人はハイボールで喉を潤した。
「健人さん、萌、あとでこの高いズワイガニも頼んで良いですか?」
 萌には遠慮というものが欠けている。今まで男に頼って生きてきたから、それが当たり前の感覚として染みついているのだ。母になっても何も変わらない萌は、まだまだ女として生き続けたいのだろう。変わらない女はいつまで経っても変わらないんだと知ってると思い、勝手に頼めと値段も見ないで投げやりに言い放った。
「誠さん、初対面なのに、喋りやすくて良い人ですね」
 皆がまだまだメニュー表を眺めている最中、斉藤の女が「初対面」という言葉を使ったのが聞こえた。
 てっきり何度も出会っている仲だと思い込んでいた。
 斉藤はネット経由で女と会っているのだ。おそらく、出会い系で女を買っている線が濃厚だろう。
「ピュアンさんもすごく喋りやすい人で良かった」
 斉藤が発したピュアンという謎の呼び名はほぼほぼハンドルネーム。
 あとは現場を押さえるだけだから精一杯頑張ってこの女をラブホまで連れて行ってくれ。斉藤がB専の絶倫であるならば、世の中は平和に回っている。

 その二人の席にフライドポテト一品が運ばれてきた。
「おい、もう頼むのやめろ!」
 メニュー表を一緒に見続けている美咲と萌を怒鳴った。
「えー! まだちょっとしか頼んでないんですよ、萌、全然お腹一杯になりません!」
「悪いが俺には金がない」
「嘘だ! 調査手伝う代わりに沢山奢るって言ってたくせに!」
 これには美咲と大輝が堪えきれずに吹き出した。斉藤の方を横目で見ても、全く気にかけた様子も見せずにピュアンと喋り続けている。
「あ、ごめんなさい……」
 思い切り殴ってやりたいところだったが、両手の親指で他の指の関節を鳴らすことで何とか辛抱した。
 太っているだけあって斉藤とピュアンが食べるのは速い。あちらはフライドポテトというすぐ出来上がるものを頼んでいるのに対して、こちらは……、健人はテーブルの横にある伝票を確認した。
 ひとひら産茹でズワイガニ、本日の刺身六種盛り、スカイグレイの彩りサラダ、特大縞ほっけ、牛肩ロースステーキ、明太マヨピザ、モツ鍋、雑炊セット……。
 いつの間にこんなに……。
 健人はグループチャットに現状報告を打ち込んだ。
「健人:これほとんど食べられない。その前に二人帰りそう。鍋と雑炊なんて頼んだ奴誰だよ?」
「萌:ごめんなさい>< 萌です」
「大輝:気にすることないよ」
「美咲:了解です」
 結局、こちらの料理が一品も来る前に、斉藤とピュアンは飲食を済ませて席から立ち上がり、上着を羽織り始めた。向かいの美咲と萌の残念そうな表情が健人を苛立たせた。
 しかし、よく考えればもう全員で追う必要はない。
 むしろ、数は少ない方が良い。
 二人が席から十分離れたのを確認してから、健人はテーブルに三万円を置いた。
「これだけあれば足りるだろ? 俺と萌があいつらを追う。美咲と大輝はここで食べてて良い」
「何で萌なの?」
「四人だと怪しまれるから。カップルに見せたいから」
「私じゃ駄目なの?」
「美咲じゃ駄目だ。本当は萌を早くぶっ叩きたいからだ。痴話喧嘩で出てったように見えるだろ? 行くぞ」
 健人の大脳辺縁系が刺激されて、萌の後頭部が三度強烈な音を立てた。

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