ケージを運んできた蓮の叔父がその扉を開けた。
痩せ細った白黒のぶち猫がケージの中で立ち上がり、腕を広げた健人の方へ、そろりと歩み寄っていく。しゃがんだ健人の目の前で歩みを止めた猫の背中を毛並みに沿って撫でる。それが気持ち良いのか、喉を鳴らし、お腹を見せて寝転がった。続けて、喉や首回りを撫でてあげる。
「随分と人懐こい猫だな。名前は?」
「キナコ」
「キナコか、杏と仲良く出来そうな名前だな。何の病気?」
「腎不全だ」
「腎不全? それ、治るの?」
「いや、治療を続ければ延命は出来るが、飼い主と相談した結果、安楽死することになった」
「え!? 延命しようぜ、まだこんなに元気じゃん」
健人の大声が不快だったのか、撫でられるのに満足したのか、キナコは立ち上がって待合室の椅子の下に潜り込んだ。
「飼い主が治療費保たないってことで、安楽死ということになった」
「は? それなら俺が飼うよ。飼い主に譲ってもらう」
「駄目だ。飼い主も苦渋の決断なんだし、死んだら埋葬するという話で決まっている。可愛がられてきた猫なんだ。環境が変わったら大きなストレスにもなる。競馬が好きな健人君なら仕方がないことくらい分かるだろ?」
健人は下唇を噛んで眉間に皺を寄せた。無言で肯き、椅子の下まで頭を下げて「キナコ!」と呼んだ。寝ていたキナコはチラッと健人を見てからまた眠り始めた。山田だけは何としても死なせないという意志をより一層強くして、拳を握りしめた。
「山田のおっさんは?」
「眠っている。だいぶ疲れている様子だ」
山田の検査結果については、蓮が戻ってきてから聞くということになっている。それまでの間、健人は猫じゃらしを使ってキナコと遊んで過ごした。どうやら疲れて猫じゃらしにも反応しなくなってきたのでケージに戻してあげると、キナコは蓮の叔父の手によって元いた場所まで運ばれていった。もうすぐ安楽死になるキナコの顔が、どこか寂しげに映る。
玄関のドアが開く。
先ほどまでは物思いに耽った様子で暗い顔をしていた蓮は、精神科で気持ちの整理でもつけたのか、いつものポーカーフェイスに戻っている。
「山田さんは?」
「眠ってるってよ」
「検査結果は?」
「山田さんが起きてから話そうと思ってる」
丁度、待合室に戻ってきた蓮の叔父が答えた。
三人で、山田が寝ているという診察室の奥にある医者の部屋に入る。折りたたみ式のベッドで大きないびきをかきながら眠っている。山田を揺すると、ん、ああ、よく寝た、と言ってすぐに目覚めた。
一番後ろにいる蓮の叔父が、診察室で画像を見せると言うので皆で戻った。マウスをいじると、モニター上に山田の大腸内らしき画像が映った。
「大腸の所々に穴が空いているのが見えるだろう? 山田さんが医者に言われた通りだ」
グロテスクでヌメヌメとした、毛細血管の通った赤い表面に大小の穴が無数にある。ヒダがあり、この大腸を細かく切り落とせば、確かにホルモンになりそうな形状をしている。
「げっ、俺、ホルモン食べられなくなる」
蓮も同じことを思ったようだ。
「医者からはこの穴は、ある腸内細菌に食べられたもので、そこから菌やウイルス、タンパク質なんかが血中に漏れて体の不調が生じていると言われた。また、意志を持って膵臓を攻撃したように見える。山田さん、間違いないですね?」
「そうです」
「継続的に検査した訳じゃないから間違っているかもしれないが、この穴を見る限り、ちょっとずつ食べられて大きくなったのではなくて、一気に穴を空ける波のようなものが何回も繰り返されて大きくなったように思えるんだ。そこまでは聞いてない?」
「そこまでは言われてないです」
蓮の叔父が肯き、モニター上の画像を別のものに切り替えた。
「穴が少ない箇所なんだが、穴の大きさがまるっきり同じでしょう? ここまで同じということは腸内細菌が食べたとは考えにくい」
また別の画像に切り替わる。
「こちらを見るとはっきりするんだが、この穴、穴あけパンチで同じようなところを二回空けたような形をしているでしょう? 穴が二つ被っているような形。剣山のようなものでの攻撃が何度も繰り返されて、こうした穴が出来ている。まず、食べられたものじゃない。そう考えた方が自然だな」
「剣山? そんな攻撃が可能なのか?」
「不可能。通常なら。とにかく、医者の言ったように危機的状況なのは間違いないな。私が分かるのは、ここまでだ」
「それじゃあ何の解決にもならないな」
その言葉に、蓮が肘で健人の横っ腹を小突いてきた。それを見ていたらしい蓮の叔父が笑った。
「ははは。確かに何の役にも立てていないな。ところで、海の教団の教祖の三上雄平って人を知ってるかな?」
沙羅が会長補佐をしている宗教団体だ。
「知ってるよ。教祖は知らんけど、ひとひら発祥の新興宗教でしょ?」
蓮の発言に、山田も肯いている。
「あそこの三上さん、医師の勉強会で講師として呼ばれてきたんだ。腸内環境の話で。クロリス知ってるだろ?」
「乳酸菌飲料の?」
「そう。あれ、あの人が昔、会社立ち上げて作った飲み物らしい。元々、あの宗教、腸内細菌の研究から始まってるんだと。宗教の話はほとんど出なかったけど、割と科学的な宗教らしくて、私が知らないことを沢山教えてもらって勉強になったよ」
「つまり、そこへ話を聞きに行け、と?」
沙羅に会えるかもしれないと思うと気もそぞろで、健人は結論を急き立てた。
「そう。もう医者が無理なら宗教はどうかって話よ。がははははは」
こんな状況で高笑いするとは、蓮の叔父は山田のことを動物とでも思っているのかと首を捻るものの、自分の動機も不純だから人のことは責められないなと思い直した。
「おい、蓮、おっさん、次はそこの本部に行くぞ」
「何でそんなに嬉しそうなの? 何かそんなところ行くの怖いんだけど」
「何だかたらい回しって感じだね」
深いため息をついた山田は疲れた様子を隠さずに不満を漏らした。
「俺、あそこのお偉いさんとちょっとした知り合いなんだ。きっと力になってくれるって。気を落とすなよ。おっさん!」
その背中を思い切り叩いて励ましたつもりだったが、山田はうなだれたまま完全に落ち込んでいる。
「ありがとう。でももういいよ」
ふざけるな、絶対に死なせない。
「あ、双葉町《ふたばちょう》にあるんだね、教団の本部」
蓮がスマホで検索してくれている。双葉町なら、ここ三葉町《さんようちょう》とマグノリアの中間くらいにあって車ならすぐだ。
「取りあえず、おっさんの持ち物、家まで取りに行くぞ。これからはずっとマグノリアで生活しろ。このままじゃ自殺しそうで一人に出来ねえ」
「その方が良いと思う……」
うなだれたまま肯いた山田は、語尾がほとんど聞こえないくらいの声量で言った。
ったく、情けないおっさんだぜ、その情けなさ、嫌いじゃないけどな、と健人は思い、沙羅との約束、このおっさんと一発ヤッてもらって元気づける、に変更出来ないかなと下品なことを考えた。
が、山田のおっさん、俺の目ばっか見てくるからゲイかもしれない、それなら意味がないなと、健人は考え直した。

最近のコメント