よいしょ、というかけ声と共に、蓮は山田の家から運んできた荷物一式の入っているドラムバッグを持ち上げて自分のベッドの上に置いた。
山田の家はゴミ屋敷と化していて、このまま死なれたら、同居している自分たちがその後処理をする羽目になるかもしれない。そう考えたら、たとえ絶望的な状況でも山田に死んでもらっては困る。
居間まで降りた。
山田はソファに横になって眠っている。睡眠薬一シートを杏と半分ずつ分け合うよう伝えて健人に渡した。
「サンキュー。次は山田のおっさんも入れて、眠剤パーティーやろうぜ」
「山田さんのラリった姿……、あんまり見たくないな。何か恥ずかしいことしそう」
「そう! 山田さん、絶対にあの恥ずかしい手品を連呼しそう」
山田は睡眠薬パーティーから除外決定ということで、三人が半ば冗談で同意して、ふざけて笑い合った。
先ほど、四人で人気の中華料理店に行き、夕食を済ませてきた。蓮はシャワーを朝浴びるだけで済ませるタイプなので、あとはもう眠って明日の海の教団行きに備えるだけである。寝室で就寝前の抗うつ剤を飲もうとしていたら、山田がノックして入ってきた。
「蓮君、海の教団に行くの、正直どう思う?」
「んー、山田さんも思ってるでしょうけど、あまり意味ないと思いますけどね。でも健人、何とかしたいみたいだし、僕も何とかしたいんですよ。藁にもすがる思いって言うじゃないですか。生きるためなら藁にすがるのも良いんじゃないですか?」
「僕はもうほとんど諦めてるけどね」
「山田さん、諦めないでください。死んだらゴミ屋敷片付けるの、僕らになるかもしれないし」
「それは申し訳ないから当分の間は死ねないね」
山田は蓮の冗談に対して力なく笑った。じゃあもう寝るねと言い、蓮に背を向ける形で床に敷いた布団にくるまった。
抗うつ剤を飲む前に『入口と出口の哲学』を読んでしまおう、第四章の「腸内環境について」の所に山田の病気を治す糸口でも書いていないかと淡い期待を抱いて本をパラパラとめくり、しおりの部分で親指を止めた。
第四章には、腸管免疫系が人間の免疫全体の六割を占めていて大切なこと、うつ病になると不足するセロトニンの八割が腸管で作られており、腸内環境を改善すれば、うつ病も改善に向かうこと、腸と脳は綿密に繋がっていることなどが詳細に書かれてある。
蓮はこれらの事実を初めて知り、自分にも役立つなと興味深く読み進めた。腸内環境改善のための食事方法の部分を読み終えた時、奇妙なページに出くわした。「ある箴言」と「ある実話」という文字が大きめのフォントで書かれてある。以前の講義で、ニーチェは随所に箴言を用いて本を書いたと教わった。箴言は「しんげん」と読み、教訓の意味を持つ短い格言のようなものだということも講義で初めて知った。
その内容を読み終えて、蓮の手が震え始めた。
ここに書かれてあるのは山田さんの症状と同じではないか、あの恥ずかしい手品は、健人がわざと振ったのではなくて、ここに書かれている「神の力」だったのではないか、疲労感に襲われるというのも同じ、徐々に衰弱していくというのもそうだ、腸壁の穴の件も叔父さんが言った通りのようにも読める。
藤井叶向さんは、この秘密を握って殺されたのではないか?
あるいは「ただ滅びゆくのみ」という神の力の使い手の運命に絶望して自殺したのではないか?
ただ滅びゆくのみと書かれているということは、やはり山田さんは助からないのか……。
蓮はしばらく使っていなかったタブレットの電源を入れた。
あまりにも気になって、腸内環境に関する本をネット書店で検索する。沢山ヒットしたが、その中からなるべく研究書っぽい本の電子書籍版を数冊購入して読み耽った。
斜め読みした結果、腸内細菌が性格に影響を与えることも、出産の際に膣を通して子に腸内細菌を引き継ぐのも、ここ数年の研究で明らかになったことだという。
しかし……、この本が出版されたのは十二年も前。
十二年前は「ここ数年の研究」の内に、おそらくは入らないだろう。そもそも彼女は現代科学でもまだ未発見の真実を発見したと言っているのだ。ごく普通の主婦だったと聞いているが、どうやってそんな真実を知り得たのだろう? 神の力によって? 信じられない。
当然、神の力に関しては、他の本に書かれていなかった。
「人の大腸を、ある最適な環境で発酵したものを食す」の下りで、山田の大腸の画像を思い出して吐き気を催したが、彼はどうやってそんなものを食べたのか?
山田にはまだ秘密にしておくことにした。
突拍子もないことを言う奴だと思われる危険性があるし、もしかしたら、山田も何か隠している可能性がある。それに、話題にするにしてもこの本のことを教えてしまえば、自分が助からない運命なのだと知ってしまう。まずは折を見て、かまをかけてみよう。その反応で何かが分かるはずだ。
それにしても、何故、ここだけ「だ・である調」で書かれているのか?
疑問は尽きなかった。
もう朝方近くで、外がほの暗くなってきた。
四時を過ぎている。寝なければ海の教団に行くのも辛くなると思い、布団を被って眠ろうとした。
もしかすると、海の教団なら神の力のことを知っているかもしれない。
絶え間なく浮かんでくる疑問のせいで、蓮は全く眠れないまま、早くも廊下から杏と健人の声が聞こえてくる時間になっている。
もう徹夜で出発するしかないと観念して、蓮は熱いシャワーを浴びることにした。
シャワーを浴びて髪を洗っていると、背後に誰かいるような気配を感じた。
振り向いても、当然、誰もいない。

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