準備が出来てマグノリアを出ようとした時、健人の顔がいつもと違うことに山田は気が付いた。
パーマをかけた、肩まで伸びた長髪は普段と変わりない。いつもは、伸ばし続けたもみあげが頬と鼻の下と顎を通って、反対側のもみあげと繋がっているのに、今日は顎髭と口髭を剃っている。
毛並みの整った太いもみあげは、野性味のある健人くらいしか似合わないだろう。それに加え、サンダルにジーンズ、ラフなシャツ姿にサングラスと来たものだから、普通の人なら怖くて道を譲る他ない。
「髭剃ったんだ。似合ってるよ」
「ん、ああ、ちょっとお洒落した」
健人はそう言ってサングラスをかけた。
彼がサングラスをかけると、判然としない三大欲求のようなものがかなり治まる。これが性欲だったらと思うと、長年培ってきたアイデンティティが危機に陥ってしまうため、なるべく考えないようにしている。彼と一緒にいると体調が良くなるのも、好ましいことではあるが、複雑なことでもある。
三人で外へ出た。
眠いから運転を代わって欲しいと蓮が健人に頼んでいる。
山田は指定席である後部座席に乗り込み、靴置きで靴を脱いでシートに背を預けた。蓮がナビをセットしている最中に、健人が車を急発進させた。車道に出たら、明らかな制限速度オーバーをして他の車を追い越していく。
「そういえば、後輩に任せたっていう案件、どうなったの?」
「待ち伏せしてホテルから出るの見つけたらしいんだが、撮影に失敗したんだとよ。でも美咲と萌が出会い系サイトで斉藤を発見したらしくて、杏を囮に使うことになった。これでベッドで素っ裸の写真撮れば完璧だろ」
「えー! 杏をそういうのに使うの、やめてよ」
「別に杏、嫌がってないぞ。金さえ入れば良いんじゃないか? 文句あるなら蓮が杏の生活費、出してやれよ」
「いや、ただの友だちに何でそこまでしなきゃ駄目なの」
「俺にだって金貸してくれるじゃん。貸した金は返ってこないと思え、って奴だけどな」
スピードをほとんど落とさずに左に急カーブするものだから体が右に大きく膨らんだ。体調が安定していて助かった。
山田は二人の会話の内容が気になって、どういう話なのか尋ねた。
「ああ、不倫調査の案件。後輩に任せたんだけど、失敗したから杏がターゲットとラブホ行って証拠掴んでくるって話」
「え!? それは杏ちゃん、危ないんじゃないの? ほら、体とか」
「ははは、杏は売春で生計立ててるんだよ。あいつに言ったら、立派な仕事だと反論してくるけどな。出会い系で会うのなんて慣れっこだから心配無用だ」
あんなに気立てが良くて器量も抜群の女の子が売春とは今の若者は凄い。
「そうなんだ。でも杏ちゃん、健人君のこと好きなんじゃないかな?」
「そりゃまあ、どんな形であれ、好きでなければ一緒に暮らしてないだろ。特定の男、面倒臭いから作りたくねえんじゃないかな」
杏ちゃんのような女性を最後の大作に登場させたらより面白くなりそうだ。宗教団体を出すのもリアリティが出て良い。
もう最後の大作なんてとうに諦めていたはずなのにまだ諦めていない生に貪欲な自分がいる。
「ここだ」
健人がエンジンを切って、三人が外へ出た。
着いた海の教団本部は飛び切りお洒落な建物で、全く宗教団体の本部には見えない。駐車場も百台以上は優に停められるほど広い。
本部はドーム型の形状で、全体がガラス張りになっている。
こちら側からも見える天井の高い一階部分は、沢山の巨大なレースのカーテンが下部で縛られており、逆三角形の形をして規則正しく並んでいる。そして、電球色の室内照明が本部内とレースを蝋燭のように朧に照らしており、どこまでも幻想的な作りだ。特に今日のような曇りの日にはよく映えるのだろう。入口前に立てられた八本の円柱だけが、宗教色を残しているように思える。宗教色が強いのは現代では嫌われやすいから、こうした壮麗な現代建築にしているのかもしれない。
「すげー建物だな。こんなのひとひらにあったなんて知らなかったぜ」
「双葉町なんて来ないしね」
皆がたまげた様子で眺め続けている。
健人を先頭にして、山田と蓮がその後ろを付いていった。
ひとひら発祥の新興宗教・海の教団。
変な口車には乗せられないぞと、山田は意志を強く持って、開いた自動ドアの奥へと進んでいった。

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