4-2 群像劇(杏)

 詩織と二人で帰宅した杏は玄関に並んでいる靴を確認した。見たことのない靴が三足並べられている。
 居間に入ると、大輝と萌と美咲、斉藤誠の件で集められた三人が酔っぱらっている。
 げっ、いたのこいつらかよ。
「杏さん、おかえりーっす」
「おかえりなさーい」
 大輝が怪しい呂律で言い、美咲と萌がそれに続いた。
「ただいま。三人揃って何してんだよ?」
「杏さん、健人さんから聞きましたよ。ラブホで証拠画像撮ったって。体張るなんて流石っすね。お礼言おうと思って」
「杏さんには敵わないです。私たちの代わりにありがとうございました!」
「杏さんも健人さんも凄いなあー。萌も負け認めるしかないな」
 案の定、斉藤誠の件の謝意を表しに来ているのだった。
 大輝の野郎、ラブホなんて軽々と口にするんじゃねえよ、詩織ちゃんがいるんだぞと、内心、杏は憤った。
「ああ、大したことないから別に良かったのに。あ、紹介する、彼女、詩織ちゃん。ピチピチの十八歳だぞ。この三人は健人の高校時代の後輩で、大輝に美咲ちゃんに萌ちゃん」
「里崎詩織と言います。たまに来るのでよろしくお願いします」
 三人衆も自己紹介を済ませると、大輝が詩織に「ビール飲まない?」と勧めている。「ビールは飲めないんです。弱い缶チューハイなら」と詩織が返している。「チューハイなんて可愛いね」と言い、大輝が冷蔵庫に向かった。
「杏さん、ラブホでの証拠画像って何ですか?」
 皆に聞こえないように小声で詩織が聞いてきた。
「ん? ああ、探偵の依頼で、浮気調査のためにターゲットと一緒にラブホに進入したんだ。写真だけ撮って逃げてきた。何にもされてないから」
「ええ!? 危ないじゃないですか、襲われる危険性高いですよ。やっぱり杏さんは格好良いな」
 杏には全く抵抗がない体の交わりにも詩織の反応はいちいちオーバーで、この様子だと本当のことは言えそうもない。
「詩織ちゃんは何でマグノリア来るようになったの?」
 冷蔵庫から缶チューハイを持ってきた大輝が、それを手渡すついでに問いかけた。美咲と萌は二人だけで恋バナをして盛り上がっている。
「依頼人の友だちなんです。その子がここに住むことになって、で、来たら驚くよって呼ばれたんです。今日は、杏師匠と健人さんの馴れ初めを聞きに来ました!」
 げっ、聞く気満々じゃんかよ、美咲ちゃんと萌ちゃんの恋バナの輪に加わっている間にお流れになると期待していたのに。
「あれ? 健人さんと付き合ったんですか?」
「まさか。詩織ちゃんは何か勘違いしててな。私が健人のこと好きなんじゃないかと疑ってる。そんな訳ないよな?」
「え? いやあ、まあ、杏さん、健人さんのこと好きそうに見えますけど……。好きだからマグノリアに来たんじゃないんですか?」
 聞く相手を間違えた。「やっぱり!」と、したり顔の詩織が「楽しみにしてます!」と言うので、酒入ってからなと返して時間稼ぎをした。その後、美咲と萌の向かいに詩織と大輝と並んで座り、話題に耳を傾けて場に溶け込もうとした。
 どうやら泥酔状態の美咲が仕事を辞めた旦那を愚痴っていて、他の良い男から食事に誘われているので乗るべきか迷っているらしい。同じく泥酔状態の萌は、そんな旦那なら他に行くのもありだと賛同している。
 この二人、浮気は許せないということで健人から調査を押し付けられたくせに、平気で浮気の話をしている……。
 結局、美咲は旦那とはまずは現状維持で、誘ってきた男とデートしてくると思い立ったようだ。
 その後も恋バナで盛り上がっている時、詩織がいよいよ健人との馴れ初めを話すよう促してきた。酔っぱらいの三人も喚声をあげて煽ってくる。
 畜生、面白くなんて話せねえよ。簡単に済ませて、あとは山田のおっさんを呼んで中年の恋バナを聞かせてもらう作戦で行くか。
「昔、飲み屋で働いてた時、健人が客として来て、デートに誘ってきたからそれに乗ったんだ。まあ、あいつなら誰でもデートに誘うからその内の一人だったんだろ。デートの後、マグノリアに誘われて来てみたら、内装も良いし、居心地も最高だからよく出入りするようになって、それならいっそ場所も良いしここに住むかってなっただけ。で、健人とは本当に何もない」
 だいぶ嘘を吐いたが、大まかな流れとしては間違っていない。
 皆「本当ですか?」と煽ってくるが、面白い人を呼んでくる、あとトイレ行ってくると言い、その場から逃亡することに成功した。

 二階に上がり、山田の寝室をノックする。
 はい、という声が返ってきたのでドアを開けて「山田さん、今、人沢山いて飲んでるんですが、良ければ来ませんか? 山田さんの話、皆聞きたがってるんです」と、布団から顔だけを出している山田を誘った。
「僕なんかがいても場違いじゃない?」
「そんな訳ないじゃないですか! そんなこと気にしてたんですか? 是非来てください」
 本当は仲間に入りたがっていたのなら誘ったのは好判断だった。
 元気がなくても風呂だけは毎日入らせていて、臭い対策に抜かりはない。着替えてから行くと言うのでトイレに籠もって待つことにした。階段を降りる音が聞こえた辺りでレバーを回して水を流した。
 偶然を装って二人で居間へ向かった。
「じゃーん! 山田さん連れてきたぞ。山田さんの恋バナ聞きたい人ー!?」
 予測通りに全員が手を挙げて、しめしめだぜ、と杏は心の中で呟いた。
「山田さん、割と売れている小説家なんだぜ」
 そう続けると「えー!」と一様に驚きの声が上がる。「あまりハードル上げないでよ」と隣の山田が囁いてくるが、その弛みっぱなしの頬を見る限り、内心では喜んでいるのだろう。
「山田さん、どんなプレイを今までしてきたんですか?」
 萌にいきなり下ネタを投下されて、山田も笑ってはいるが、その目が笑っていない。
「んー、多分普通のことしかしてないよ」
「えー! 優しそうに見えてドエスとか、そういうの期待してるのに」
「いや、ごめん、普通で」
 その後も下ネタを投下され続けているが、山田は全く乗ってこない。ここまで下ネタを避けるとは、童貞なのではないかという疑いも信憑性を帯びてくる。
「山田さん、恋人はいつ以来いないんですか?」
 杏が話題を変えて童貞かどうか探りを入れる。
「だいぶ経つねえ。ちょっと元カノに悪いことしちゃって、恋愛に臆病なんだ」
「悪いことって?」
「ごめん、ちょっと言いにくいな」
「その彼女とのファーストキスはどんなだったんですか?」
「恥ずかしいなあ、だいぶ昔の話だからね? 夏の海の中でキスしたんだ。ファーストキスはしょっぱかったっていう」
 その瞬間、居間中に響きわたるほどの大歓声が上がった。
 山田さんも案外、ロマンチックなシチュエーションでキスしてるんじゃねえか、そこまでしてれば童貞はないな。
「どんな悪さして別れたんですかあ?」
 萌が質問した。
「結婚も考えてたんだけどね。言ったら皆、引くと思うよ?」
 絶対に引きません、という声が上がるが、単に聞きたいだけだろう。山田の方も話したがっているようだ。
「もう人もいない寒い季節だったんだけど、真夜中のラピスラズリビーチに置き去りにしてきたんだ。車で来て、その子の靴は車内に置きっぱなし。それを最後に連絡を全く取ってないんだ。何であんなことをしたのかって後悔しきりだよ」
「最低ー! 何でそんなことしたんだ! こら! 山田!」
 萌が早くも呼び捨てにしている。
「最低なのは承知だよ。何でしたかっていえば、嫌われたのかなと思ったのと、あと、どんなに好きな人でも性的な顔を見せてきた時、生理的に嫌悪感を抱くことってたまにないかな? あの時、そういう嫌悪感に見舞われたんだ」
 あ、それよく分かるかも、いや、ないよ、などと議論が白熱している。
 杏にはその感覚がよく理解出来た。男でもそういうことがあるとは、山田はやはり小説家なだけあって繊細な感性の持ち主なのだと再認識した。

「ただいま」
 振り返ると、帰ってきた健人はほくほく顔で、遙の方は照れ臭そうな表情をしている。健人と一緒に帰宅したのを皆に見られて恥ずかしいのだろう。そういう性格だ。
「皆集まって何の話してんだ?」
「山田さんの最低な置き去り事件の話」
 杏が答えて、なんだそりゃ、と気になっている様子の健人にその一部始終を伝えた。
「ああ、山田のおっさんの感覚、分かるよ。たまに女の顔見せてきた時、正直『キモッ』って思うことがある。そういう感覚のことだろ?」
「そう! そんな感じの感覚。健人くん、恋愛経験豊富なだけあるね」
「相手はメンヘラばっかだがな。その元恋人の名前、何て言うんだ?」
「え、飯田叶向っていうちょっと変わった名前だったけど」
 叶向!? と驚いていると、遙が「飯田はお母さんの旧姓……」と呟いている。
「なるほど、遙ちゃんのお母さん本人に間違いないな」
 健人は何事もなかったかのように淡々と事実を受け止めている。健人も超能力を使えるのかと杏は驚きを隠せなかった。
「おい、何で名前聞いたんだよ?」
「探偵の癖だ。名前は大事だろ? それと、最近、変なことに巻き込まれすぎて、もしや、と思ったんだ。全てがシナリオ通りのような奇妙な感覚がする。とにかく、これで遙ちゃんのお母さんの謎が解けてくるぞ」
 遙の前だからか、健人は殊更、格好付けた物言いをする。
「叶向さんの娘が……、遙ちゃん……」
 山田は目の前の事実に唖然としているが、置き去り事件のことを聞かれて後ろめたいのか、遙の顔を見ないようにしている。健人の後輩たちは何が起きたのか事情が掴めず、戸惑っている様子だ。詩織も遙に「どういうこと? 山田さんが遙のお母さんの元カレってこと?」と囁いている。それに肯いている遙は、母の元恋人であった山田の顔を凝然と見つめている。それぞれがそれぞれの感情を突き動かされている。
 このマグノリアでいよいよ運命の歯車が回り始めたのだ。
 蓮の死、遙の命が狙われていること、遙の母が書いた本の内容が山田に当てはまること、そして彼女が山田の元恋人であったこと、健人が遠い存在に感じること……、幾つもの出来事が重なって、杏は気が狂いそうだった。
 健人はアホだけど度胸が凄い。
 彼の前では皆が意志を奪われたようになり、彼の望む方向へと突き動かされていくのだ。

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